飛梅(蕎麦屋さん) [食べる]
5月の末、福岡市に寄った時に、随分久しぶりに新天町をぶらりとしました。おお、音羽寿司(子供の頃、大人になって自分で稼ぐようになったらカウンターに座れ=カウンターに座れるように精進しろ、という教育を父から受けたお店。)はある、四宮の成金まんじゅう店はないなぁ。
飛梅(うめ)はありました。
約60年前、私は小学校3年生が終わった時に、北九州の門司から福岡市に転校してきました。その頃の門司は、国鉄の門司鉄道管理局=門鉄、もあり、それなりに賑やな街だったので、子供にはそれほどのカルチャー・ショックはありませんでしたが、大人は違ったのでしょうね。
(4年前に85才で亡くなった)母親は若い頃から蕎麦好きだったようで、福岡に越してからは街に出る度に飛梅に寄っておりました。連れられている子供の私には蕎麦はねぇ・・毎回苦手でした。「大人って、こんなものが美味しいのだろうか・・?」と思っていましたので、飛梅の蕎麦を真剣(?)に食べた記憶はありません。あの頃はタケノコと蕎麦は私には迷惑な食べ物でした。
蕎麦は少し前(50才代かな)から、タケノコは60過ぎから、白米の美味しさを知ったのはつい数年前という私ですから、まぁ仕方のないことだったのでしょう。(タケノコをゆっくり食べる暇もなかった中年期だったのかなぁ・・。)
次に福岡に行く機会がありましたら、飛梅には寄ってみようと思います。実現すれば60年ぶりくらいでしょうか。
飛梅(うめ)はありました。
約60年前、私は小学校3年生が終わった時に、北九州の門司から福岡市に転校してきました。その頃の門司は、国鉄の門司鉄道管理局=門鉄、もあり、それなりに賑やな街だったので、子供にはそれほどのカルチャー・ショックはありませんでしたが、大人は違ったのでしょうね。
(4年前に85才で亡くなった)母親は若い頃から蕎麦好きだったようで、福岡に越してからは街に出る度に飛梅に寄っておりました。連れられている子供の私には蕎麦はねぇ・・毎回苦手でした。「大人って、こんなものが美味しいのだろうか・・?」と思っていましたので、飛梅の蕎麦を真剣(?)に食べた記憶はありません。あの頃はタケノコと蕎麦は私には迷惑な食べ物でした。
蕎麦は少し前(50才代かな)から、タケノコは60過ぎから、白米の美味しさを知ったのはつい数年前という私ですから、まぁ仕方のないことだったのでしょう。(タケノコをゆっくり食べる暇もなかった中年期だったのかなぁ・・。)
次に福岡に行く機会がありましたら、飛梅には寄ってみようと思います。実現すれば60年ぶりくらいでしょうか。
2017-06-22 14:54
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