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インスタント・ラーメンが還暦だそうです。 [雑記]


新聞の見出しをそのままいただきました。発売後60年になるそうです。

九州の福岡市に住んでいた中学生の頃は近場の山に登ってばかりでした。(はて?クラブ活動はしてなかったのかなぁ。軟式テニスに一時居たけど、時折やってくるクラブの先輩高校生のチャラさにあきれてやめたのだっけ・・かな。)

山岳部などではなく友人と2人で(趣味で)中学生から高校一年くらいの間に、(屋久島などは除き)九州の山はほとんど登りました。普段のトレーニングは宝満山から三郡、若杉縦走コースでした。1ヶ月に1度は登ったかな。(若杉まで行かない時は「ショウケ越え」から宇美に下りて。)


 

あの頃は太宰府天満宮の一番奥を抜けると、両側は田圃の道に出て、竈門神社までは周りは何もない道でした。(最近、テレビ番組で「今の竈門神社周辺」を偶然見てびっくりでした。住宅がびっしり。)

確か高校1年の冬のある日に登った時に、積雪の山道で体力を使った、だったのか、途中でテントを張って泊まることなりました。夕食は乾パンの予定でしたが、彼がリュックから取り出したのが、チキ*ラーメンでした。「これば食べよう」。

お腹が空いていて、テントの外の雪を溶かしてラーメンを作る量の水の確保ももどかしいので、(提供主の彼が)コッフェルで焼きそば風にしてくれたのを食べました。発売後6~7年経っていた筈ですが知りませんでした。(世の中にこげなうまいもんがあるったい)

(あれは)美味しかったなぁ。

それから10数年経った30才代に海外出張が増えた時も*キンラーメンは必ず持参してました。(海外のホテルの備え付け湯沸かし器は中が錆だらけが多かったので、コンパクトなものを持参でした。)30才代も終わりの頃、ゴルバチョフさんの時代の最後の頃の彼の国へ。ホテルのレストランにも食べ物がなくて、自室で窓の外の寒そうな街並みを見ながら食べたのもチキ*ラーメンでした。確か「えらい時にえらいところへ来たなぁ」と呟いたのを覚えてます。

40才代、50才代は自宅で割とコンスタントに食べてました。トッピング?のキャベツとタマネギと、もやしと平天を炒めて片栗粉でとろみをつけての「チキン・ちゃんぽん」です。今も時々は。それもあって我が家では5個入りパックは常備してます。

発売から60年の内、52年くらいはチ*ン・ラーメンと一緒、になりますね。

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