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映画「家へ帰ろう」 [映画・音楽]

「家へ帰ろう」はナチの収容所から戦後に解放、帰還し、その後アルゼンチンへ渡ったユダヤ人の男性の主人公が、老齢になり自分の死期を悟ってアルゼンチンから故郷のポーランドへの(片道切符での)一人旅を描いた映画です。

老人の腕には入れ墨の番号=収容所の管理番号だったか。この映画を観ているといろいろな事を想像する。ドイツのナチス政権のすさまじいまでのユダヤ人狩り。ドイツ人は几帳面な国民なのだろう、入れ墨の番号は「どこの誰」と細かに管理されていたのだろうな。

(「シンドラーのリスト」夜のユダヤ人狩りのシーンが甦る。)



スペインからポーランドへ列車で向かう途中パリで、どうしてもドイツの地は踏みたくない、別ルートは?と「だだをこねる老人」(フランス人にはそう映る)に対しての案内所のフランス人の(嘲)笑い。思い出した!「黄金のアデーレ 名画の帰還」での一場面、オーストリア人の「持ち主のユダヤ人は死んだのだろう?じゃ俺らの物だ」という嫌らしさと一緒だぞ。(ここか!?私は最近、フランスが絡むとわかった映画は途端に録画を消してしまう事が多い。この辺りの、彼ら曰くの「皮肉っぽさ」、私曰くの「それ、いけず=いじわる」ね。)

しかし、(他所の国の事は言えないのは解っているけど)何故あの期間に大部分のドイツ人はナチズムに傾倒したのだろうか?こんな辺境のブログで私が書くには大きすぎるテーマだけど、このところの録画で観た「ヒットラー・ユーゲント・・前後編」や「・・ヒットラーの演説の魔力」、「マクダ・ゲッペルス・・」、や少し前に放映された「ダス・ライヒ・・」などと考え合わせると、ふとそんな事を思ってしまう。

特に「ダス・ライヒ」の残忍性は戦争末期の親衛隊には少年兵が多かったと、別の番組の分析があった。少年兵は時に狂信的=凶暴になったとの分析もある・・ということなのか。

主人公がアルゼンチンから着いたスペインのホテルでシャワーを浴びて少しだけとベッドでうたた寝をしたら、乗る予定の列車の時間に遅れていた・・今、私も旅をしたらそうだろうなぁ、エアコンも入れずにベッドに横になり寒さで目覚めた時は朝方で、風邪なんてものじゃない悪寒で飛び起きるのだろうなぁ・・10数年前まで重いバッグを持って、あちこち出張をしながら泊まり歩いていたとは、想像も出来なくなっている現在、全てが衰えているのだろう、な。寂しいけれど、それが今の私の現実だよね、と。

それと、「お前は何かやり残したことはないか?」と映画の主人公に言われたような気がした。うん、唯一の心残りは、私が30才~34才の頃、バイクや4輪駆動車で一緒に遊んだ会社の先輩(確か4才くらい上だったか?)が57才の時に病気で亡くなられた。これから転地療養に向かうという先輩と会社で立ち話をした3ヶ月後の訃報だった。

私は53才だったか・・こちらも身体が悪くなってきていた頃で自分の事で精一杯で、その先輩の葬儀(遠隔地だったと覚えている)にも、その後にお線香をあげにも行ってない・・これがずっと気になっていた・・31才の頃に1度だけお邪魔したお宅がどこだったか?正確な場所も忘れてしまっていた。

再会?する日がどんどん近づいているような気がして、ネットで1時間ほど調べたら、住所と電話番号が判った。いよいよの時は、お線香をあげに行こう。でないと、向こうの世でひっぱたかれるぞ。

そんなこと、こんなことを考えさせられた(アルゼンチン、スペイン)映画でした。

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