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義兄の死 [雑記]

4歳上の義兄(あに)が最近(2020年5月初めに)亡くなった。義兄に初めて会ったのはもう半世紀近くも前になる。場所は私の奥さんの実家だった。義兄と私は(後に各々の配偶者となる姉妹の父親である)義父の面談(面接か?)を受けていた。義父と義兄は同じ大学の先輩後輩で例えば「あの教授は君の時は居たのかね?」などで会話は弾んでいた。


その横で私は「下を向いてはいけない」・・でも上を向ける訳でもなく、ただただ時間が過ぎるのを祈っていた。夜になった帰り道、1人で歩いた国鉄の最寄り駅までの20分は、(仕方が無いけれど)屈辱感?しか残らなかった半日を思い返しながらだった。

「おーし、将来、もし、俺に娘が出来て同じ様な日が来たら、この仇はとるぜぃ」と二度三度呟呟いたのを覚えている。(まぁ、少し"方向"が違うよね。若さだよね。)




 
その後、義兄は(義姉と)すぐに結婚し、(よく許可が出たなの私、らは2年後に、だったと思う。)私らの結婚式に出ていただいた時にお会いしてから以後は、商社勤めの義兄は海外に長く駐在し、甥2人は共に外国生まれだったと思う。

次にお会いしたのは14~15年経った、湾岸戦争の折の帰国命令で一時帰国されていた時ではなかっただろうか。数年は日本にいらしたと記憶している。

この時の義兄には(私が思うに)武勇伝がある。中東の家に残してきた飼い犬を迎えに出張をでっち上げ、まだ戦時下であった中東へ単身で向かい、無事、日本に連れ帰った事だった。(しかも、その犬は他の駐在員が「転勤の邪魔」だとして置いていった犬を引き取ったとのこと。)

この話を聞いてから、それまではどこか苦手だった義兄を、私は大好きになってしまった。(でっち上げた出張は後日、会社にバレてペナルティを食らった、とか。笑ってそう話されていた。ちなみに、その犬は以後は安全な日本国(家内の実家)で寿命まで過ごし、義母の話相手になっておりました。)

その次にお会いしたのが義父の葬儀の時だったと思う。間は置かずだったと思う。私は40歳だった。通夜の後、「*さん(私)、吉祥寺に博多ラーメンの店があるけど行ってみない?」と誘われ、2人で食べに行き「どう思う?」と訊ねられたので「まぁ吉祥寺では、いいのじゃないですか。」と応えたのを覚えている。それから、義兄夫婦はまた海外赴任をし、だったと思う。日本にはいつ戻られたのかは覚えていない。

60歳が近くなった頃、甥の結婚式で2回お会いした。60歳になった頃、義母の東京での葬儀、納骨では九州の博多のホテルに4人で集まり、翌日の納骨を終えた後、義姉と家内の曾祖父にあたる人の旧宅(飯塚市が公開している)を見に行く。家内の曾祖父の写真を見た瞬間、20年前に亡くなられた義父にそっくりで・・。

人生で数えられるくらいの回数しか義兄には会ってはいないが、退職後でもご活躍だった義兄、退職後は「元祖・引きこもり」みたいな私だったが、互いには気にし合っていたとは思う。平静な世の中であったのなら、あるいは命を取り留めたかも知れなかったのが、とても残念だ。

不思議な事があった。亡くなる2日ほど前、家内の、書類を積んでいる一山が何かの拍子に崩れたらしい。中から数枚の写真が入ったアルバムが出てきたとの事。それがこれなのと見せてもらうと、10年前の義母の納骨で集まった時のもので、家内の曾祖父の旧宅の庭でのスナップ写真などがある。中に、私と義兄で2人で写ったのもある。「今だったら、大金持ちの一角に食い込めたのかも知れませんよねぇ」と私は言ったのかも知れない・・2人で笑っている写真だった。義兄からの「僕を偲んでね」のメッセージだったのかも知れない。


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