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文春砲?の連載ページ [雑記]


最近は「文春砲」とか呼ばれているようです。毎週拝見しておりますが、相変わらず元気なようです。老いていくだけの我が身から見ると羨ましい限りです。


bunshun11.jpgこの週刊誌に連載されている「ぶらりわが街 大人の散歩」という1ページ(と言うのかな?見開きの半分です。)があります。毎週、ちらりと読む(見る、かな)だけなのですが、先週の号(2017年7月27日号)は奄美大島でした。

副題が「田中一村を感じる島の旅」です。「きゃー、何ぃ~、今週~」・・と、まぁ、その時の私の心の内を書けばこんな感じでした。ページのほとんどが田中一村について書かれてました。嬉しいです。








田中一村を私が知ったのはいつだったのかは忘れました。奄美へ移り住んでから、生活の為に工場に働きに出ながら、お金が貯まると絵を描いていた。工場へ通う一村の姿を思い出してインタビューで応えていた島の方の話、お店の前を通る一村に食料などを渡すと、しばらくして、描いた絵を御礼だと持ってこられました、などの話。

ご本人へのインタビュー記事には「私は**より上でした。」と東京美学校で一緒だった画家の名前をあげていたと思うのですが、私の記憶では**は藤田嗣治であったか。でも、調べますと、年代が違いますね。東山魁夷?なのかなぁ・・不明です。

50才の時に奄美の田中一村の美術館へ行こうと家内と計画をしかけたのですが、約10年遅れでの権利行使?の勤続20年のご褒美の旅行は飛行機での一筆書きのルートで(でないと会社は費用を出さない)、とあって、どうにも飛行機が繋がらなくて断念して沖縄へ行きましたから、一村を知ったのは17年以上も前の話になります、筈です。

数年前、「田中一村展」の開催が千葉でありました。ここ関西から関東は遠いし、次の開催地は鹿児島・・だったかなぁ・・とにかく中部と関西地区はすっ飛ばされて(?)鹿児島で開催されると知り、同じ時期、ちょうど九州にラジコンを飛ばしに行く予定になっていたので一村展を観に行く予定を立てました。

九州新幹線は南の開通区間が、新八代<->鹿児島中央だった頃です。阿蘇でのラジコンを中断して、新八代まで車で移動して、駅に車を駐めて(Park&Train??)、新幹線で鹿児島中央まで行き、県立美術館だったと思いますが、路線バスに乗り向かいました。途中、西郷さんの銅像の前を通過する時の路線バスは徐行し、アナウンスが流れたのにはびっくりしましたが、鹿児島の方々の西郷さんへの敬愛の心は変わらないのでしょうね。

原画を初めて観て、事前にはルソーに似てる?と思っていた一村さんの絵は、(似ている、なんて大変失礼な、でした)一村さんだけの絵でした。

なんででしょうね~、セザンヌもモディリアーニもゴッホも一村さんも、皆さん赤貧の内に死ななければならなかったのかね~、くやしいね~、と、新幹線の座席で呟きながら、また新八代に戻ったのを覚えてます。


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