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天塩 [旅]

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最近は、googleのマップでしか旅を出来ません。今日もそんなバーチャルな旅をしておりましたら、「あれ~?天塩を手塩と書いたのではなかったか(どきっ!)」と、ここを見直してみますとやはり題から(して)"手塩"と書いておりました。何人の方に笑われたのかと想像しながら赤面しております。8/15の書き込みのようですのでほぼ1ヵ月です。文中の手塩を天塩に書き換えました。2019年9/19
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稚内の南にある街です。毎年、フェリーで北海道の小樽に午後9時頃上陸し、稚内を目指し先ずは走れるところまで走って(大体は美深付近で力尽きた)そのまま車中泊をし、翌朝また走り出しておりました。

teshio1.jpgそんな(元気な)時代の天塩は海岸沿いの道へ逸れる時に通過する町でしたが、無茶が出来なくなった(北海道の旅の最後は64才頃)2年前くらいからは天塩に泊まっておりました。失礼を承知で書くと、何もない町のようですが、でも何故か惹かれる街です。

アイルランドかスコットランドにはきっと似た町があるだろうなぁ・・・起伏は向こうがあると思うけど・・両地方へは行ったことはないけれど。


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流氷に出会う難しさ [旅]

オホーツクの流氷の季節は続いていると思います。少し前(5年ほど前)の話ですが「年齢的にも今だろうな」と思い、飛行機と都市間バスなどを乗り継いでたどり着いた先がオホーツク紋別でした。

(話はいきなり外れますけど、ある時に紋別で見たポスターのオホーツクの横文字表記がロシア語風で、太平洋戦争(第二次世界大戦)の敗戦後、当時のソ連が釧路から留萌に引いた線より北側をよこせと要求した経緯(確か)もあったので、もしあの時に押し切られていたら、紋別は今頃はロシア領であった筈ですから、私的にはどっきりでした。)


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走行距離1061.9Km [旅]

父の死去に伴う用事で3月の末に関西と東京を間を車で往復しました。3月初めに乗った新幹線がどうにも居心地が悪かった(外国人の観光客のコロコロ・バッグが通路を走り回った!)ので今回は車にしました。

東京までの車での走行は3年ぶりです。夜間走行が好きな私ですが、今回は昼前に家を出て、昼間の走りになりました。先ずは慣れた道の名神に入りました。名神から北陸道、まだ少しの距離しか開通してなかった東海北陸自動車道、中央道は30才代の頃はよく走りました。


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2018年3月初旬の九州行き [旅]

3月の初めに予定されていた阿蘇外輪山の野焼きの手伝い要員(荷物番くらいしか出来ませんが)として九州へ行きました。野焼きの予定は日曜日でした。

私の(明るい)計画では、金曜日に現地に着いてラジコンを金曜土曜と飛ばして、日曜日は野焼きに参加し、月曜日はフィールドは真っ黒だからラジコンも飛ばせないし、宿で温泉三昧をして、火曜日にはふらりと北九州方面へ移動して・・だけの予定を立てていたのですが、実際に準備を始めたのが、出発2日前の2月の末頃でした。


 

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ルート495 [旅]

和白のホテルから北九州へ向け走り出す為にナビに北九州の目的地を入れると国道3号まで出よというメッセージが流れる。う~む、直ぐそこに495号と表示される道は北九州まで繋がっているよなぁ。ナビに逆らってまぁ無理矢理(!)国道495号を行ってみるかで出発しました。 しばらく走っていたら、あれ~?見覚えがある、どこか懐かしい道だなぁ、です。その内に道の両側の店の様子から、これは少し古い道かも知れないぞ、と思いました。調べますと旧国道3号線でした。やはりなぁ見覚えがあります。 50年前も前の話です。その頃、小学校3年生まで居た北九州の門司の小学校の友達に会いたいと、アルバイトに使っていたヤマハメイトという原付バイクに乗って、北九州へ向け走り出したあの道だったのですね。

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海の中道 [旅]

50年前は福岡市内から志賀島へバイクで行くとなると、(旧の)3号線を走って、箱崎、名島、香椎を経て和白で左折してました。小排気量のバイクだと和白までで少しくたびれたなぁだったと記憶してます。これが19才くらいの時。24、5才くらいの時は車での、まぁ所謂デートコースというのかな、志賀島を一周するのが好きでした。


10代の頃は和白からの途中の雁ノ巣には道路の左側にブレディ基地という米軍基地がありました。右側は米軍人軍属専用ゴルフコースだったと。道路沿いの金網の向こうでは”外人”がゴルフをしておりました。戦勝国と敗戦国・・金網の向こうはまぶしい別世界でした。


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十勝三俣の珈琲ハウス(北海道) [旅]

mikuni_p.jpg三国峠からの眺めは、原始の北海道はこうであったのではないかと思える景色です。








ある年は、三国峠から糠平温泉方面を目指して南下をしていると左側に、またある年は、十勝平野の鹿追から入って行く然別湖経由(然別湖から先が通行止めになっている可能性もある道)で一部で細くなる道を頑張って走って、糠平温泉付近で広い道に合流して、ひたすら三国峠を目指していますと右側に、


mitsumata.jpg突然「営業中」の看板を掲げたログハウスが目に入ります。お店があるのは三俣という地名だそうです。最初にお店に入った時は数時間お邪魔しました。その時は偶然ゆっくり出来たようです。シホンケーキと紅茶が美味しかったのを覚えています。店内で売っている鹿の落ち角で作った小さな工芸品(アイヌの方の作品ではないそうです)が好きで、毎年数個づつ買い求めておりました。


さて、この三俣という場所は・・

私が今住むのは関西エリアです。毎週土曜日の夜、サンテレビでは北海道の放送局が制作した北海道の旅番組を2~4年遅れで放映してます。2017年に入ってのある週の放送で、このログハウス喫茶店がある辺りは旧士幌線の終着駅の十勝三俣の駅があった場所だと番組の中で紹介されておりました。今頃ですが、ええっ?そうなの~!(まっ、廃線の旅も、時々は”忘れ”ます。)

検索しますと1978年頃まで操車も出来そうな立派な駅があったようです。当時の航空写真も出て来ます。今も気象庁のアメダスでの観測は行われていてデータが出て来ます。

1978年・・私28才かぁ。頑張ればバイクで走って行けたかも知れません。でも、まぁ、あの頃は仕事が厳しい時代でしたので、北海道へバイクで行くなんて余裕はありませんでした。


抜海という駅(北海道) [旅]

bakkai.jpg人生に悩んでいる人がよく訪ねる駅だそうです。そんな内容の番組をテレビで放映してました。ある人はプラットホームにじっと座って・・・ある人は待合室で天井を見ながら・・考え込んでおりました。う~む、私とて悩みがない訳ではありません。番組を見ながら一度は行ってみようと思いました。



ある時、行ってみました。が、う~ん、プラットホームも駅舎も私には何も語りかけてくれませんでした。う~む。

流氷が見たくて往復した冬のフェリーの復路が事前案内では定刻だった運航が大幅に到着が遅れてしまい、歩きの客(業界用語で車無しの客は”人力車”と言うらしいです。)の私は着いた先では交通手段がないとのことで、フェリー会社ではタクシーで大阪の難波まで送ってくれることになり、もう一人、歩きの乗客がいるとのことでした。

フェリー到着後彼と一緒になりました。2人で乗ったタクシー。約2時間の道中で話も少ししました。札幌の若い方で、年齢は28才で転職を2回して、今は就活中だけど、これから四国の八十八カ所を巡る旅に行く積もりであること等を語ってくれました。「そうですかぁ。僕はね、この年まで八十八カ所を巡ろうと思った事がないのですね~。やっぱ、いつか行かんといかんのやろかぁ・・僕はどこかがおかしいのかなぁ・・」と呟いた私・・。彼とは公共交通機関は全て止まった未明の難波の駅でタクシーを降ろされ、そこで別れました。

私、これまで四国の八十八カ所もお伊勢さんにも金比羅さんにも、少し違うけど所謂「城巡り」にも、一度も行こうと思った事がなく67才の今まできております・・変人?凡人の域にさえもまだ達していない?のかも知れません。抜海駅の事は、今も時々思い出しております。


「北浜」駅(北海道) [旅]

世界の鉄道の旅をされている関口知宏さんが、少し前の日本の鉄道(JR)を乗り尽くす旅の番組の時にとても印象に残った駅でした。網走近くの釧網本線の駅です。関口さんが降り立った北浜駅。駅舎の食堂で、美味しそうなソースがかかったハンバーグの定食を食べた関口さんでした。座ったのは一番奥の窓際の席でした。

「いつかあそこに座ってあのハンバーグの定食を食べるバイ」

と心に決めた訳ですが、一番奥の窓際に席に座ってハンバーグ定食を食べるのは何度か実現出来ましたが(ちょっと気難しく見える=失礼)ご主人には未だにお会いできておりません。会って、何かを話す訳でもないのですが・・。

kitahama_st.jpg2015年、もうこちら方面にはこれから先は来ないかもなぁとの気持ちで北浜駅に寄りますと、列車が入ってきました・・ほぉ。これまで何度も寄っていましたが、列車を見たことはありませんでした。これはまた来いよ、なのかな・・。


「間道」という本 [旅]

kandou_1.jpg(調べますと)2006年の出版です。当時、週刊誌の新刊書評で見て買いましたから刊行されて直ぐに買い求めたと思います。この本は以後の私の北海道の旅のバイブル的な本になりました。「港町は土地柄が優しいらしい」と読み、私も出来れば港町で泊まりたいと思うようになりました。(あの頃はまだ元気で車中泊が出来てました。やはり63才くらいから車中泊が身体に厳しくなって、前日に翌日の安い宿を検索して予約するようになった時は少し寂しかったですね。)
厳しい間道の世界の話、北海道の町の祭りの開催日に沿って続く著者の旅では北海道の地名が次々に出てきます。津別、喜茂別の話。それが頭の片隅に残っていたのでしょうね、津別と喜茂別はよく通りました。

白糠から釧路まで著者の飴細工の店を追いかけてきた幼い姉弟の話もとても記憶に残った本でした。

kandou_2.jpg2008年の夏、私は羽幌の道の駅横のホテルの日帰り温泉に入っておりました。どうやらその日は羽幌の夏祭りのようでした。湯船でふと「あれ?!著者の方は夏祭りが開かれている町から町を移動してるのだっけ・・ひょっとして!」と急いでお風呂を上がって夏祭りに行きますと、飴細工の店が出てました・・ひょっとして?!



shiba_1.jpgひっきりなしの客の注文を受けての飴細工の制作作業が続いておりました。少しの間、客が途切れた時に「「間道」の著者の方ですか?」と訊きましたら、「そうです」でした。(やったー。)少しだけ話して、一緒の写真をお客さんに撮ってもらい(!)、柴犬の飴を作っていただきました。(その飴は9年経った今も冷凍庫にあります。少し変形はしておりますが。)





この時は北海道へは本を持参してなく、サインはいただけなかったので、次の年からは、車のグローブボックス?に入れておりましたが、私の北海道の好みの季節(雪が降る少し前)と著者の方の移動の季節が微妙ズレたようで、以後はお会いできておりません。




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