月曜日に歩いて・・「次」は金曜日だった [日常]
目の前の本棚が倒れてきました。私は禿ですので頭部への外部からの衝撃にはクッションらしいものがありません。手で頭を守り、揺れが収まった時は、書籍やケーブル類などの下敷きになった状態だったと思います。ほぼ毎日歩いているし、まだ67才だからセーフだったのかも知れません。
今思い出すと不思議なこと・・あの朝、地震の4時間前、歩きのコースの公園に入りましたら、以前に書いたキツネか、少し小ぶりのキツネ(子供?)が目の前の30mくらい先を右から左へ横切りました。横切った後、草むらから私を見ていたので、「おはよう。何しているんだよ?」と声に出して問いかけましたが、ただ私をじっと見ておりました。(じいさん、数時間後に気をつけな、と言いたかったのかな・・そうだとしたら、有り難う、ね。)
さらに公園の外周道路を歩いていたら、(今は関係が良くない)カラスが暗闇の中でやけに騒々しかったのを思い出します。彼等も互いに連絡を取り合っていたのか?
今年は近所でもツバメをほとんど見かけないなぁと家内で話していたところでした。雛がカラスに食べられた一昨年以来、ツバメの姿を見るとつらいのですが・・。でも、今年は近所で飛んでいる姿さえ見ないなぁとも話してました。もし一昨年のように我が家のガレージの出入り口の上の壁面でしたら、揺れで巣が落ちていたと思います。これも彼等の予知能力なのでしょうか。
800年に一度の20数年前の震災の時はアパートの8階でした。その時はアップライトのピアノが数センチも浮き上がったくらいの揺れでした。陶器類はミスター・*ーナツの景品のカップなどの景品や安価なもの数個を除きすべて割れたのを覚えてます。私は次の日から関東へ片道切符みたいな仕事で出張し、家庭内の片付けはほぼ家内が担当しました。年齢は40才代半ばでしたからまだ頑張れました。観測と記録が開始されてからの最大の揺れだという今回は、食器類は6割くらいは残りましたが、結構な数が割れてしまいました。私は68才で同学年の家内も67才。その陶器類、ガラス類の片付けも、自室の片付けもゆっくりと、でしか出来ません。
以来、「なんだかなぁ」が私と彼女のため息とも言える独り言の毎日です。
それでも、彼女には少し励まされることもあったようで、地震から3日目、家内が出た東京の学校の同窓会から(地震当日の)18日の消印のはがきでの「地震お見舞い」が届けられました。はがき1枚でも、これには随分と勇気づけられて嬉しかったようです。
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