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文春砲の大好きな連載が終わった。 [雑記]

 **小林信彦さんのエッセーの連載が終わった・・**


文春砲に連載されている小林信彦さんのエッセーが2021年7/8号で終わると、エッセーの中でご本人が書かれていた。

「終わるのかぁ・・」

文春砲は私の住む所での発売は木曜日だ。毎朝の起床=未明から起き続けている?、は早いが、木曜日の朝は5時頃には歩いて近所のコンビニに文春砲を買いに向かう。片道7分くらいだ。帰宅後、手にとった文春砲の小林さんのエッセーを最初に"見る"。(この時は、"読む"ではない。)

コーヒーを淹れ、朝食を作り食べるが、その間中、内容の想像をしながら、だ。食事後はごろりと横になり、今度は"読む"。今の、毎週木曜日の朝のルーティンだ。


連載が開始された頃の題名は「人生は51から」だったそうだ。20年続いた連載だったそうな。20年前・・私は51才か。そうだっけなぁ・・もう購読をしていたけれども、余りはっきりは覚えてはいない。あの頃は、ポス*、文春、新*、宝石を読んでいたと思う。

いつ頃の事だったかな、ビジネス路線の客室乗務員の客の評価として、"文春砲を読んでいるのはエリートサラリーマン"だと判断するそうな、の記事を何かで読んだ覚えがある。そんなアホな、それ違うよ、と、エリートの対極に?いる私は「敵を知るために」文春砲を
読み始めたのではなかったかな。

事実をきっちり記事にしていたのは、"宝石"だったと思うが、残念なことにだいぶ前に休刊し今に至っている。ポ*トはある時に「魂を売ったか?」の記事が出たので、以後は読んでいない。*潮はね、変わらずに・・だったので、定年を機に、文春砲ともう1冊を、で、"現代"にして今に至っている。

「まぁ、その割には、稚拙な事を書いている、な。」

小林さんのエッセーを一番の贔屓としたのは、この7年くらいだろうか。いつかは、もうおひとり、年配の方でラディカルな?エッセーを書かれていた方が居られたが、編集部からの(一方的?)打ち切りで、筆者と文春砲は少しもめたのではなかったか?その頃から小林さんのエッセーを真剣に読みだしたのではなかったか。(その方のお名前をどうしても思い出せない・・。)

少し懐古風になったけれど。

ところで、このブログも「65から」と名乗っていて、意味は「人生は65から転がり落ちるぞ」とか「健康状態は65から真っ逆さま、だ」という意味でのネーミングだったが、満更悪くはなかった、な。(あはははは。)

小林さんが病で倒れられた後、6~9か月?後に連載が再開されたと覚えているが、その頃の連載の副題は「生還」だったと思う。内容は夢か?現実か?のような話が連続した事もあったと思う。でも、私には不思議と理解が出来た。

(普段からの)私の夢は、例えば、夢の中で旧ソ連邦のゴルバチョフ書記長に会って話す、なんていうのは当たり前で、大体は東西の首相、大統領の何人かには夢で会っている。近々では我が国の前首相と2人で煙草を吸いながら雑談をしていたり・・あれだけ嫌いな人(!)なのにね。夢とは不思議なものだ。

小林さんの映画評なども楽しみだったが私には少し専門的だったのかも。でも植木等さんへの思い入れは、私も同様で、もっと植木さんの映画をよく観ておけば良かったと後悔もした。小林さんは渥美清さんとは無名時代から仲が良く、渥美さんのアパートで語り明かした話も印象深かった。

見開きページの、"どれだけのスペースにその時の政治の話が書かれているか"、も、私には毎号の楽しみだった。(そんなに前ではないので、現首相の事だったか?見開きの3/4が政治に関してだった・・あははは、痛快だったな。)

今回の連載最終回の副題は「数少ない読者へ」だったが、小林さんが想定されている読者としてはレベルが低い私でも、その1人に入れてもらえれば嬉しい。小林さん、どうぞ、お元気でお過ごしください。

**今日は2021年7/8。朝5時にコンビニへ文春砲7/15号を買いに行った。帰宅後、どこにも小林さんのエッセーはなかった・・な。(ちょっと喪失感を・・中。)**


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