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「原爆初動調査 隠された真実」(公共放送 8/9放映) [雑記]

**TV放映された番組を観て""福島""をも考えてしまった**
(皆さま、ご覧になった方もいらっしゃるとは思いますが、再放送等を観ていただきたくこれを書きました。)



「原爆初動調査 隠された真実」(公共放送地上波 8/9放映)を観た。私には衝撃的な内容だった。

原爆を投下された広島、長崎の地で戦後早い時期から米軍は残留放射能の調査をしたようだ。今回の番組は、その調査方法、そして調査結果について、最終的な政治判断はどうなされたのか、を追った番組だ。

米軍による調査は特に長崎では克明に調査され、広域(50km)以内の残留放射能の調査もされたようだ。投下後2時間以内の島原半島でも、通常値の2倍はあったようだ。それらに沿った報告書も作成されたが、結果を先に書くと「残留放射能はなかった」という政治判断が米軍の上層部で行われ、調査員達(多くは科学者だったらしい)はすべての報告書を破棄するように命じられ、以後も沈黙を強いられたようだ。

マンハッタン計画の学者側責任者オッペンハイマー博士の「原爆を高い高度で(高さは具体的にはわからないが)爆発させると地上の残留放射能はない」という理論?も根拠だったらしいが、当時の調査の責任者(マンハッタン計画の責任者でもあった米陸軍軍人)はその理論を利用し、"広島、長崎には残留放射能はない"を調査結果の結論としたらしい。

何故か?

これは日本の隅々まで占領政策を行き渡らせる為に米国政府は米軍人を日本の隅々まで進駐させる必要があり、広島、長崎に米兵を(ある程度の期間)進駐させる為には残留放射能があるとの報告書では以後が成り立たなかったらしい。また、(残留放射能で)"以後70年は草木も生えない爆弾"では非人道的兵器になる為、それを避ける為でもあったらしい。

それらで"原爆に残留放射能はない"が軍の公式見解になったようだ。

番組中、前政権(ほんの8ヶ月前!)の国務次官補代理(核関連)にもインタビューをしているが、70数年前のオッペンハイマー博士の理論通りの応えをしていた。今も「原爆は高い高度で爆発させると残留放射能はない」が公式な政府見解なのだろう。

つまり、軍の公式見解が国の公式見解になった訳だ。

我々日本人はこれまでの報道や伝聞で戦後数十年経っても放射線病で苦しんでいる人々が居ることを知っている。原爆資料館を訪ねても悲惨さをあらためて確認するように見る筈だ。

ところが、原爆資料館を訪れた米国人の驚き様は私には少し理解が出来ない事だったが、今回の番組を観て米国では残留放射能はなかったとの教育がなされていた(いる)のであろう。それが資料館でこれまでの概念が覆されたのであろう。

私は、彼らは原爆投下によって終戦を早めることで当時の数万の米兵の命が助かったとも教わっているのだろうくらいは知っていたが、原爆は残留放射能は"ゼロ"と教わっている(だろう)事は知らなかった。

実際は、爆心地も、離れたところでも黒い雨などで高い残留放射線量があったということは、米軍の調査官が残した資料に詳しくある。そんな報告書もあったのにかかわらず、隠蔽されたらしい。

上官から調査報告書と資料の破棄を求められた調査員達はその通りにしたようだが、一部の調査員は自宅に資料を隠し持ち、音声などで自分資料として遺していた。番組では、今回、それらを集め分析して番組を制作したようだ。

1945年付近で決められた公式見解が"原爆は残留放射能はゼロ"なら、1950年頃の朝鮮戦争で最高司令官が核を使おうとしたこと、1962年のキューバ危機で米国軍部は核兵器の使用をケネディ大統領に迫った、のも理解できる。彼らの原爆の認識は放射能での惨禍を招くよりも「強大な爆弾」としか思っていなかったのであろうか。

あるいは、こんな事を書いて良いのか?だが、福島の事故の際の"tomodachi作戦"での空母の風下からの接近はどうだったのか?

それから、

調査はするが隠蔽もする、という手法(住民の為ではない封鎖を先ずする。その後の調査の数値の改ざん等)が(世界の核関連の事故の)スタンダード・プロシージャーになったのではないか??

福島の子供の甲状腺ガンの発症率は福島以外の子供の発症率に比べて多い、という証拠はない・・という言い方は、実は長崎でも白血病で亡くなった女性に対しての病院の所見にも同じように書かれている。科学とは推測では書けないものだろうが、とてももどかしいところだ。

そして、

近年の福島の事故では直後から立ち入り禁止区域の指定をし、線量の計測値の発表は"大本営発表"にならざるを得なかった筈だ。ところが飯舘村ではそれこそ「封鎖し損なった」から高い線量の値がそのまま世間に露呈したのではないか?

つい最近、広島高裁の「黒い雨」の住民側勝訴の判決が確定した。この番組は高裁の裁判官の判断に影響は及ぼしたのか?上告を取り下げた国はこの番組の内容を知っていたのか?あるいは、「隠蔽」は戦後のある時からどこかでささやかれていたのか?

2017年の最高裁の(長崎の残留放射能の裁判で)「科学的知見によれば爆心地から5Km以内に存在しなかった者は放射線での健康被害が生じたとは認められない」との判例は大幅に見直されるべきではないか。先ず、その"科学的知見"とは何だったのだろうか?

番組では戦後すぐに調査をした日本の医者、科学者が一堂に会した集まりで各々が残留放射能が人体に与える影響を議論した時、オブザーバー(と言うか監視役の)占領軍(ジーエイチキュー)により以後の日本人研究者による全ての原爆の研究と発言は禁じられたとある。とすると公式には(残留放射能に関する)資料は残っていない筈なので、米国の公式見解を"科学的知見"としたのか。

そういう事だったのか・・と、今、私は少し"ぞっとしている。"

しかし、"知らずに死ねるか"という点では今回知って良かった。

この話を奥さんにした。同じように憤慨しながら「**さんと**さん(父方の祖父母)は広島での被爆者手帳を持っていたのよ。**さん(母方の叔父)は医学生の時に長崎で被爆し、戦後は原爆病院で働いていたけれど52才の時、原爆の影響か?のガンで亡くなっているのよ」と憤っていた。


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