その後のデジタル通信(1) [アマチュア無線]
(1)と付けましたが、その後は続くのかどうか不明です。
2月に書きました再開局後の初のデジタル交信の後は、上手くいかない日々が続いてました。前の記事で書いた「2段目」が繋がらない状況が続いております。無線機の表示は取り扱い説明書通りだとその中継局に繋がっただけで私の声は載る筈なのですけどね、時々入感するCQを発した局への応答の試みは不成功ばかりです。
声が載ってない?(表現はこれで良いのか悪いのか・・。)
今使わせてもらっているノード局以外で繋がるところは?とリストを手に接続を試しますが、どこも応答はないようです。2~3局は必ず繋がる筈だと思うのですけど、反応もありません。個人用の使用にしているのでしょうね。
まぁしかし、今使わせていただいているノード局なども設備代も電気代も自分持ちですから、完全なボランティアです。有り難いことですので、こちらの問題はこちらで解決をしなければ、です。
先日の米国の会話が入ってきたのは、どこかで米国と日本が繋がってしまったのでしょうね。関東エリアの局が米国の局から呼ばれました。べつの時間に米国の2局が「じゃぁタックスリーテンへ行こうぜ」と言ってました。タックスリーテン???何それ~??
allja_cq_roomにさえアクセスが出来ない日が続いていたのでしばらく忘れてましたが、そのタックスリーテンという言葉を思い出し、ググってみますと、TAC310というネットがあるようですね。DMRというデジタルモービルレディオというグループもあるようです。北米とヨーロッパにレピーターが多いようです。当然、日本は皆無ですね。近場ではフィリピンかな。
2月中はこの様な日々でした。
3月に入り、「どうする・・デジタル・・」の様な状態が続いておりました。う~む・・続ける?撤退??2月から1週間近くもノーコンタクト状態が続いてました。相変わらずヘッドホンをして聞いていたある日、旧知の九州博多の局が呼んでいてくれて・・あれ、どこかで聞いた事があるコールサインだぞ・・ああ、自分のコールだぁ!と応答しますと、彼はd-starの人ですが、私に合わせて、wires-xのアナログでノードに繋いで呼んでくれたようです。同じく博多の違うもう1局(この局もメインはd-starです)とは翌日電話で連絡を取りながらwires-xで話しました。いろいろ実験にも付き合っていただきました。これまで「声が載ってない」と思っていた状態は、実は声は載っておりました・・のを携帯経由で自分の声を聞いて確かめた次第でした。
ということは・・応答を試みた局にはしかとされた??タイミング悪かった??(皆さん優しい方々だからタイミングでしょうね。)
自信が出来るとそれが電波にも出るのか?翌日、郷里の局が出てましたので、急いで声を掛けまして、少しの間、話せました。でもその日は朝からネットの状態が悪いように思えました(本部のサーバーがダウンした??)ので、交信時間を短くした次第です。でも、故郷の局と交信が出来るのは嬉しいものです。
その翌日だったか、その局を横浜の局が呼んでいました。私は他の事をしながら彼らの交信を聞いていましたが、どうやら横浜の局は私の郷里の同じ区の出身のようです。年は一緒くらいかな?など想像しながらでした。2局の交信が終わったので少し間を置いて、横浜の局を数回呼びましたが、応答はなく、また次の機会を待つことにします。う~ん、この辺りが電話ではないでのもどかしいですね。
相変わらず傍受だけの日々が続きました。なんか、つまらんな~病が復活?
しばらくしたある日、少し夜更かしをしてましたら、突然、あの横浜の局がcqを出されてました。えっ!?急いでいつもお世話になっているNODE局にコネクトして呼んでみましたら、あちらからも応答がありました。(やった~!)
一応の目安の交信時間15分一杯に話せました。私より8才上であること、ご実家は私の実家があったところより500mくらいの場所であること、などを話し、次回の交信を約束してのお別れでした。
いや~、久々に顔が紅潮しました。(がらりと変わった心境で)デジタル・アマチュア無線は楽しいなぁと実感した夜でした。
何と言うのでしょうねぇ・・選んだ人生の都合で故郷を離れた地に住んで、結局はそこが終の棲家になりかけている・・普段の生活は、それなりにやり過ごせば出来るのですけど、望郷の念は年々増していくのかも知れません。
マイ・ノードを持つ・・・・か???
2月に書きました再開局後の初のデジタル交信の後は、上手くいかない日々が続いてました。前の記事で書いた「2段目」が繋がらない状況が続いております。無線機の表示は取り扱い説明書通りだとその中継局に繋がっただけで私の声は載る筈なのですけどね、時々入感するCQを発した局への応答の試みは不成功ばかりです。
声が載ってない?(表現はこれで良いのか悪いのか・・。)
今使わせてもらっているノード局以外で繋がるところは?とリストを手に接続を試しますが、どこも応答はないようです。2~3局は必ず繋がる筈だと思うのですけど、反応もありません。個人用の使用にしているのでしょうね。
まぁしかし、今使わせていただいているノード局なども設備代も電気代も自分持ちですから、完全なボランティアです。有り難いことですので、こちらの問題はこちらで解決をしなければ、です。
先日の米国の会話が入ってきたのは、どこかで米国と日本が繋がってしまったのでしょうね。関東エリアの局が米国の局から呼ばれました。べつの時間に米国の2局が「じゃぁタックスリーテンへ行こうぜ」と言ってました。タックスリーテン???何それ~??
allja_cq_roomにさえアクセスが出来ない日が続いていたのでしばらく忘れてましたが、そのタックスリーテンという言葉を思い出し、ググってみますと、TAC310というネットがあるようですね。DMRというデジタルモービルレディオというグループもあるようです。北米とヨーロッパにレピーターが多いようです。当然、日本は皆無ですね。近場ではフィリピンかな。
2月中はこの様な日々でした。
3月に入り、「どうする・・デジタル・・」の様な状態が続いておりました。う~む・・続ける?撤退??2月から1週間近くもノーコンタクト状態が続いてました。相変わらずヘッドホンをして聞いていたある日、旧知の九州博多の局が呼んでいてくれて・・あれ、どこかで聞いた事があるコールサインだぞ・・ああ、自分のコールだぁ!と応答しますと、彼はd-starの人ですが、私に合わせて、wires-xのアナログでノードに繋いで呼んでくれたようです。同じく博多の違うもう1局(この局もメインはd-starです)とは翌日電話で連絡を取りながらwires-xで話しました。いろいろ実験にも付き合っていただきました。これまで「声が載ってない」と思っていた状態は、実は声は載っておりました・・のを携帯経由で自分の声を聞いて確かめた次第でした。
ということは・・応答を試みた局にはしかとされた??タイミング悪かった??(皆さん優しい方々だからタイミングでしょうね。)
自信が出来るとそれが電波にも出るのか?翌日、郷里の局が出てましたので、急いで声を掛けまして、少しの間、話せました。でもその日は朝からネットの状態が悪いように思えました(本部のサーバーがダウンした??)ので、交信時間を短くした次第です。でも、故郷の局と交信が出来るのは嬉しいものです。
その翌日だったか、その局を横浜の局が呼んでいました。私は他の事をしながら彼らの交信を聞いていましたが、どうやら横浜の局は私の郷里の同じ区の出身のようです。年は一緒くらいかな?など想像しながらでした。2局の交信が終わったので少し間を置いて、横浜の局を数回呼びましたが、応答はなく、また次の機会を待つことにします。う~ん、この辺りが電話ではないでのもどかしいですね。
相変わらず傍受だけの日々が続きました。なんか、つまらんな~病が復活?
しばらくしたある日、少し夜更かしをしてましたら、突然、あの横浜の局がcqを出されてました。えっ!?急いでいつもお世話になっているNODE局にコネクトして呼んでみましたら、あちらからも応答がありました。(やった~!)
一応の目安の交信時間15分一杯に話せました。私より8才上であること、ご実家は私の実家があったところより500mくらいの場所であること、などを話し、次回の交信を約束してのお別れでした。
いや~、久々に顔が紅潮しました。(がらりと変わった心境で)デジタル・アマチュア無線は楽しいなぁと実感した夜でした。
何と言うのでしょうねぇ・・選んだ人生の都合で故郷を離れた地に住んで、結局はそこが終の棲家になりかけている・・普段の生活は、それなりにやり過ごせば出来るのですけど、望郷の念は年々増していくのかも知れません。
マイ・ノードを持つ・・・・か???
2017-03-22 02:31
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