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浅間ミーティングの話 [バイク]


先日、バイクの修理をお願いしているショップのご主人がカレンダーを見ながらスケジュールの話をされて、その中で出てきたのは「古き二輪を愛でる会」でした。今でも続いているようです。

「古き2輪を愛でる会」(近畿圏での開催)・・もう40年も前の話になりますが、当時入っていた町のバイク・クラブが世話役になっての開催がありました。あの時私は28才だったかな。クラブ員では最年少でしたので、会場整理の役を仰せつかり、旧車で到着するバイカーの誘導をした覚えがあります。会の開催中はずっと駐車場で管理を担当しておりましたので、屋内の会場で行われた行事等は全く知りません。

旧車乗り達の誘導をしてみて「旧車に乗る人はかなわんなぁ」との思い出があります。(関西弁で言う)かなわんなぁ=出来れば関わりたくない=(博多弁で言う)うてあわんどこぉ、というところかな。

あっ、私のバイクは築33年ですが、33年前には新車でした。乗り手の私は34才でした。共に年をとっただけで、旧車だなんて思ったことありません・・しかし、旧人と旧車になる??

「古き2輪を愛でる会」に参加をしたのはこの1度だけです。バイクの集まりにはもう1度(全国自動2輪交友会だと思いますが、忘却の・・。)かな、です。当時入っていた町のクラブは合同のツーリングも年に1~2度でしたし、縛り?の少ないクラブでしたので、走りは大体一人でした。

旧車の集まりでは、関東方面になりますと、浅間ミーティングクラブだと思います。調べてみますと、今も開催されているようです。初代の会長は中沖さんとあります。中沖さんには会場の軽井沢の方で一度、H氏の紹介で東京で1度お会いしてます・・と思います・・??もう40年も前の話です。(中沖さんは2007年に亡くなられたようです。)

あの頃乗っていたのはトライアンフ・ボンネビル750ccでした。突然思いたって名神、中央道で茅野まで高速で走り、夜遅くなったので、茅野の民宿だったかな、に飛び込みで泊まり、翌朝早く宿を出て峠越えで走った覚えがあります。浅間ミーティング会場で、中沖さんとH氏に挨拶をして直ぐに関西までの帰りの道を走り出した覚えがあります。そうそう、夜の走行は体温を奪われます。普段はバイクにとってはつらい(音と排気ガスで)筈のトンネルですが、あの夜の恵那山トンネルは暖かくて、このままトンネルが続かないものか、と願ったりの走行だったのを思い出しました。(でも、元気でしたねーー!)

当時のトライアンフは電装はルーカスでした。ボルテージ・レギュレーターが不安定で、テイル・ライトがよく切れました。ポケットにプラス・ドライバーとスペアの電球を2個入れて、時々テイル・ライトを確認しながら走り、切れていたら次のパーキングで交換し、また走る、でした。でも、エンジン(だけ)はよく回ったと記憶してます。ピストンがバルブを突くまで回る、って言われてました・・確か。

tri_u.jpg当時買い求めたバックルは今も愛用してます。帽子を作りに横須賀の「大将ミシン店」だったような・・にトライアンフのステッカーを持って帽子を作ってもらいに行った事もありましたなぁ。今だに思い出すバイクです。最近、2度ほど現在のを見かけました。シルエットは引き継いでいるようですね。いかしてました。


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