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映画「バルーン 奇蹟の脱出飛行」を"観て"。 [映画・音楽]

**密告と盗聴の旧東ドイツからの西ドイツへの脱出を描いた映画を観て**


ドイツが東西に分かれていた頃の実話に基づいた映画、だそうだ。

旧東ドイツ側の2家族が自分達でつくった(縫い合わせた)熱気球で西ドイツへの脱出の試みを描いた映画をTV(WOWOW)で観た。ドイツのドイツ語映画だ(??)(??:最近の北欧映画などの中にはオリジナルが英語の映画もある・・米アカデミー賞狙いなのか?だが、私にはそんな映画こそは"つまらんのが多い"気がする。北?ヨーロッパの国々の言葉はどこもとても素敵だと思うのだが。)

話は1980年頃の、東ドイツのある家族を中心に進行する。さりげない日常の会話などを集めては国民を監視する様も描かれている。例えば、幼稚園での園児を囲んだ"お話"の時などに先生が園児の父親の動向を探るようなシーンでは「**ちゃんのお父さんのお仕事は運転手さんだけど、家では何をしているのかな~?」には「布を縫っている」・・「(うん?)」など。国民監視の為の情報収集の一つの手法だったのであろう。

諜報というのは、このように些細な事でも訊きだして(もしくは申告=密告、の)細かな(ピース?)情報を集めることから始まるのであろう
。同時に諜報組織は国民には、密告を密告とも思わない、むしろ国民として正しい行いであり国家に貢献しているように、そう思わせるように仕向けるのだろうな。これを洗脳というのだろうが。この映画でも例えば店員が胸を張って上司に「気になる客がいる」と報告をするシーンなどが出てくる。

あれぇ?・・似たような事を思い出した、ぞ。

「そうか!あれは日本の旧帝国時代の名残だったのかも知れないな」と自分の経験を突然思い出した。私が小学校3年生の頃=1959年頃=終戦から14年後、友達の家で自分の母親について喋った事が、クラスの父兄会かで耳打ちされたのか?私の母親の耳に入り、母親からひどく叱られた事があった。

今、思い返してみても喋った内容はとても些細な事だった。何気ない家庭内の光景を友達の家で喋っただけだった、横には友達の母親が居たが・・と、覚えている。

(今思うと)その友達の母親は私の母より7~8才上だったと覚えている。終戦時は27~8才だった筈だ。戦争中の旧帝国時代を生き抜くには、隣組制度とうまく付き合わなければ生き抜けなかった筈だ。

隣組制度というのは、ある時は互助会であったろうし、ある時は国民同士を互いに監視させ、密告をさせるシステムであったと思う。"互いを監視させる"情報を集めていたのは、特高警察だった筈だ。謂わば日本版のゲシュタポだ。(シュタージは第二次大戦後だったと思う。それ以前はゲシュタポだった筈だ。)

友達の母親は何気ない私の言葉を覚えていて(そんな習慣が抜けきらずに?)、父兄会の場で母親に耳打ちしたのではなかったのか。どの様な意図があったのか?60年以上経った今もわからない、が。


話を映画に戻すと、

題名からは、熱気球による西側への脱出飛行の模様が全編で描かれるのかと思ったが、気球での飛行の場面は時間としては短い。主として旧東ドイツの密告と秘密警察の社会での日常生活が描かれながら物語は進行する。現場の残留品の処方薬を手掛かりに家族の特定を急ぐシュタージ。

この映画を観た後に、偶然、夜中の癒やし番組(ヨーロッパの古城巡りと世界の?トラムでの街角風景)をぼ~っと見ていたら、旧東ベルリンを走るトラムからの映像が映った。

映像での建物なども、凝るわけでもない普通の建物が多い。私が知るドイツの街は旧西側の街だけで、20数年前くらいの記憶でしかないが、取り残されたと言われていた旧東側の建物も変わらないなと今回思った。東西に分かれていた過去があっても質素倹約を旨(知らないけれどそんな印象がある)とする国民性なのだろうな。

(個人的には私はドイツ人という民族は好きではない。父親がドイツ語を話し、日独の協会員であり、小さい頃から家の中にはあちらこちらに「独逸」があったが、大人になり、自分で時々ドイツに行くようになると、割とijiwaruな国民だなと思うようになった。「やはり、第二次大戦時の三国同盟は日本を旧ソ連への当て馬?に、だったのだな・・。」と呟いたことも。

ある時、(英国の)ロンドンで歩いていたら白人の若者に「バッキンガムへはどう行く?」と訊かれた事があった。アクセントからドイツ人だと思った。周りにはイギリス人が少なからず歩いているのに彼は(わざわざ)このアジア人を選んで訊いてきた。

後でイギリス人にこの話をして「なして?」を訊ねると「ドイツ人はヨーロッパでは嫌われているし、私ら英国人もドイツ人が嫌いだから。彼はそんな空気を感じとってアジア人の貴方に道を訊いたのでは。」と言っていた。

まぁ私の個人的な意見だし、訊ねた英国人の意見も片寄っているのかも知れないが・・。)

旧東ドイツから西ドイツへの脱出では統一までに多くの方々が亡くなっている。ほとんどが射殺だったとある。
軽々には書けないが、顔認証もAIもなかった時代でもそれだけの犠牲が出たようだ。

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