坊がつる賛歌 [雑記]
**少年時代(17才)の"坊がつる賛歌"**
先日、過去の同名のTV番組をリマスターした「新日本紀行」で、「坊がつる賛歌」(副題「大分くじゅう連山」)を放映したので懐かしさもあり録画して観た。"坊がつる"とは九重にあるキャンプ地(湿原)の呼び名だ。
私は中学生の頃から友人と九州の山々に登っていた。中学生の頃は日帰りで近場ばかりだったが、高校生になると時々泊りがけで(福岡市から)宮崎や鹿児島まで行っていた。ある時、九重連山へ登った事があった。当時の私はラグビー部に所属して、春、夏、冬休みで練習や合宿がない時は山に登っていた。(今思い出すと、"恐ろしい"掛け持ち?だ。)
2年の春休みだったか、に、前々より計画していた九重連山へ集中?登山に2人で行くことになったが、私はその少し前にあった試合で左の鎖骨を痛めて(折れてはいなかったが)、登山までの1週間近くを外科医院に通っていたが痛みはなかなかとれなかった。
最初の計画では"坊がつる"でテントを張ってキャンプをしながら2日間で3~4の頂を目指す計画だったが、私の左肩の事もあり、宿泊をテントから山荘(坊がつるの端っこにある法華院温泉=湯治も出来るし)に計画を変更したのではなかったか・・予約等は友人が段取りしてくれたと覚えている。
国鉄(久大本線)でどこか(思い出せない!)まで行き、バスで牧ノ戸峠まで行き、雪が残る道を、リュックの左ベルトを外して右肩だけで背負って、法華院温泉まで歩いたのを覚えている。
山荘には我々の他には客はおらず、硫黄の温泉も入りたい放題で、初日の2時間の入浴で痛む鎖骨を手でマッサージをしたら、翌日は鎖骨の痛みは全くなくなり、リュックも普通に背負えて集中登山も効率よく出来たと覚えている。(以来、今も法華院の湯は魔法の湯であると思っている。)たしか、2泊したのではなかったか・・。
法華院温泉があるところが「坊がつる」と呼ばれて「坊がつる賛歌」という歌もあるのは当時も知っていたが、私も友人も"山で歌を・・"のタイプではなかったので、当時は聞いたことも歌ったこともなかった。今回、齢71で初めて"坊がつる賛歌"をじっくりと聞いた。
**この歌の作詞をした3人の方も当時の番組にでておられた。年齢は20数才上の方々だった。(今は亡くなられているのかも知れない・・"現在では?"篇には出演されなかった。)**
"この歌、マイナーなんだなぁ?"それじゃ当時17才(=イケイケの年齢)の私らの耳に入ってこなかった筈だ。
私と彼は未成年ということもあったが割と真面目に山に登っていたので、山に登って夜に酒を飲んで歌を歌うという事は(当然)なかった。一度だけ冬期に予期せぬ雪に遭いテントの中でシュラフに入ってからも寒くて仕方がなかった時に、彼のリュックに入っていたワインの小瓶を2人で分けて身体を温めた事があった。アルコールの記憶はこの時くらいだ。
((私は高校時代に一度も喫茶店に入った事はなかった。通学は毎日福岡市の中心部を通っていたので喫茶店は幾らでもあったが、でも入った事はなかった。"くそ真面目"ではなく「俺にはそんな暇はない」のだったか?・・かも知れない。と言って、勉強をした訳でもなかった。一体、どこを見ていたのだろうか?と今でも思い出そうとしてみるが・・今も解らない、な。))
そう、その法華院での2泊目の風呂に入っていると、外を女性2人が通り、宿に入るのが見えた。「あの人達も絶対風呂に入るバイ」と2人でお湯に入ったり出たりしながら待つこと1時間だったか・・ついに女性側に入浴する気配があり、"我々の苦労は報われたバイ"、"オー"、だったな。
風呂場の浴槽は湯の上の境だけで湯の中には境はなく(潜れば向こうに行けただろう?が)、天井もツーツーだった。でも、それだけで妙に嬉しかったのだろうな。
同行の彼が天井越しに「バンドエイドを持っていますか~?」と声を掛け、女性達の部屋へお邪魔し(我々よりお姉さん達だと判る)消灯まで4人でしばらく話し、次の日、峠のバス停まで一緒に行こうとなった。何でも山口県から来ていた20才のお姉さん達(短大の卒業記念登山で2人で来たと言っていた。)だった。
**(バンドエイドではなく、リバテープ?だったかも知れない・・。)**
翌日、法華院からバス停までの山道を4人で一緒に歩いた。20才のお姉さん達が随分とまぶしく見えたのを覚えている。まぁ、これが私の"17才の坊がつる賛歌"だったのか・・。
((因みに・・初めて喫茶店に入ったのは浪人生時代で、GF(大学1年)に連れていかれ「今日は珈琲1杯で6時間"ねばる"からね」・・「えーー!(嫌だなぁ)」・・延々と大学のサークル(確かセツルメント?とか言っていたな)の話を一方的に6時間も聞かされた・・。(それもあってか??)喫茶店は今でも得意じゃない。病院で採血後に院外の喫茶店にモーニングを食べに行っても、"ねばれ"ば良いのにね、直ぐに出てしまい、結局は待ち時間の大半を病院内の待合室に居る・・。))
私は中学生の頃から友人と九州の山々に登っていた。中学生の頃は日帰りで近場ばかりだったが、高校生になると時々泊りがけで(福岡市から)宮崎や鹿児島まで行っていた。ある時、九重連山へ登った事があった。当時の私はラグビー部に所属して、春、夏、冬休みで練習や合宿がない時は山に登っていた。(今思い出すと、"恐ろしい"掛け持ち?だ。)
2年の春休みだったか、に、前々より計画していた九重連山へ集中?登山に2人で行くことになったが、私はその少し前にあった試合で左の鎖骨を痛めて(折れてはいなかったが)、登山までの1週間近くを外科医院に通っていたが痛みはなかなかとれなかった。
最初の計画では"坊がつる"でテントを張ってキャンプをしながら2日間で3~4の頂を目指す計画だったが、私の左肩の事もあり、宿泊をテントから山荘(坊がつるの端っこにある法華院温泉=湯治も出来るし)に計画を変更したのではなかったか・・予約等は友人が段取りしてくれたと覚えている。
国鉄(久大本線)でどこか(思い出せない!)まで行き、バスで牧ノ戸峠まで行き、雪が残る道を、リュックの左ベルトを外して右肩だけで背負って、法華院温泉まで歩いたのを覚えている。
山荘には我々の他には客はおらず、硫黄の温泉も入りたい放題で、初日の2時間の入浴で痛む鎖骨を手でマッサージをしたら、翌日は鎖骨の痛みは全くなくなり、リュックも普通に背負えて集中登山も効率よく出来たと覚えている。(以来、今も法華院の湯は魔法の湯であると思っている。)たしか、2泊したのではなかったか・・。
法華院温泉があるところが「坊がつる」と呼ばれて「坊がつる賛歌」という歌もあるのは当時も知っていたが、私も友人も"山で歌を・・"のタイプではなかったので、当時は聞いたことも歌ったこともなかった。今回、齢71で初めて"坊がつる賛歌"をじっくりと聞いた。
**この歌の作詞をした3人の方も当時の番組にでておられた。年齢は20数才上の方々だった。(今は亡くなられているのかも知れない・・"現在では?"篇には出演されなかった。)**
"この歌、マイナーなんだなぁ?"それじゃ当時17才(=イケイケの年齢)の私らの耳に入ってこなかった筈だ。
私と彼は未成年ということもあったが割と真面目に山に登っていたので、山に登って夜に酒を飲んで歌を歌うという事は(当然)なかった。一度だけ冬期に予期せぬ雪に遭いテントの中でシュラフに入ってからも寒くて仕方がなかった時に、彼のリュックに入っていたワインの小瓶を2人で分けて身体を温めた事があった。アルコールの記憶はこの時くらいだ。
((私は高校時代に一度も喫茶店に入った事はなかった。通学は毎日福岡市の中心部を通っていたので喫茶店は幾らでもあったが、でも入った事はなかった。"くそ真面目"ではなく「俺にはそんな暇はない」のだったか?・・かも知れない。と言って、勉強をした訳でもなかった。一体、どこを見ていたのだろうか?と今でも思い出そうとしてみるが・・今も解らない、な。))
そう、その法華院での2泊目の風呂に入っていると、外を女性2人が通り、宿に入るのが見えた。「あの人達も絶対風呂に入るバイ」と2人でお湯に入ったり出たりしながら待つこと1時間だったか・・ついに女性側に入浴する気配があり、"我々の苦労は報われたバイ"、"オー"、だったな。
風呂場の浴槽は湯の上の境だけで湯の中には境はなく(潜れば向こうに行けただろう?が)、天井もツーツーだった。でも、それだけで妙に嬉しかったのだろうな。
同行の彼が天井越しに「バンドエイドを持っていますか~?」と声を掛け、女性達の部屋へお邪魔し(我々よりお姉さん達だと判る)消灯まで4人でしばらく話し、次の日、峠のバス停まで一緒に行こうとなった。何でも山口県から来ていた20才のお姉さん達(短大の卒業記念登山で2人で来たと言っていた。)だった。
**(バンドエイドではなく、リバテープ?だったかも知れない・・。)**
翌日、法華院からバス停までの山道を4人で一緒に歩いた。20才のお姉さん達が随分とまぶしく見えたのを覚えている。まぁ、これが私の"17才の坊がつる賛歌"だったのか・・。
((因みに・・初めて喫茶店に入ったのは浪人生時代で、GF(大学1年)に連れていかれ「今日は珈琲1杯で6時間"ねばる"からね」・・「えーー!(嫌だなぁ)」・・延々と大学のサークル(確かセツルメント?とか言っていたな)の話を一方的に6時間も聞かされた・・。(それもあってか??)喫茶店は今でも得意じゃない。病院で採血後に院外の喫茶店にモーニングを食べに行っても、"ねばれ"ば良いのにね、直ぐに出てしまい、結局は待ち時間の大半を病院内の待合室に居る・・。))
2021-07-28 02:28
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